今熊神社(遥拝殿)_東京都八王子市

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今熊神社の遥拝殿。本殿は背後の今熊山山頂に鎮座。
名称 今熊神社(いまくまじんじゃ)
住所 東京都八王子市上川町19
電話番号 0426-54-5201
社格
御祭神

健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)

月夜見命(つきよみのみこと)

駐車場 あり
そのほか トイレあり。周辺には売店どころか自販機もないため要注意。
Webサイト  東京都神社庁HP

 

◆アクセス◆

 JR武蔵五日市駅より「川口経由 京王八王子駅」行きバス(八20)にて「今熊山登山口」バス停で下車(6分)、または京王八王子駅・JR八王子駅北口から「川口経由 武蔵五日市駅」行きバスにて「今熊山登山口」バス停で下車(40分)。ちなみにJR武蔵五日市駅から「今熊山登山口」までは約2.9kmなので、徒歩では30分以上かかる。

 「今熊山登山口」バス停から今熊神社(遥拝殿)までは約1.1kmなので、徒歩だと15分ほどかかる。遥拝殿には比較的大きな駐車場があるので、繫忙期以外なら車で訪れるのも良いと思われる。

 

 JR新宿駅から青梅特快で拝島駅へ行き、そこで五日市線に乗り継ぐと、その終点駅が武蔵五日市駅である。都内とは思えない自然豊かな景色が広がるので、ずいぶん遠くへ来たものだと旅情を感じるが、実際は都心からほんの1時間程度の距離だ。

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武蔵五日市駅。オレンジ色の煉瓦と駅名の書かれた木版が旅行気分を盛り上げてくれる。

 武蔵五日市駅からバスに乗って、「今熊山登山口」バス停で下車した。「今熊山登山口」という名前から、バス停のすぐそばに遥拝殿と登山口があると思っていたが、見当たらない。あたりを見回すと、道路を挟んで反対側に「今熊神社入口」と書かれた石塔が見えた。遥拝殿まではこの道を歩かねばならない。

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今熊神社入口と書かれた石塔

 道路わきの住宅が、道を進むにつれて減っていき、自然が豊かというか、寂れたというか、そんな景色が続いて少し寂しい気分になる。そんな道を15分くらい歩くと、今熊神社の遥拝殿に到着した。

 鳥居をくぐって真っすぐに階段を上っていくと登山口へとつながるが、その左手に遥拝殿がある。境内には稲荷神社もあるそうだが、しっかりと確認はしなかった。

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今熊神社の石塔と神明鳥居。階段を真っすぐ進むと登山口。左奥に見えるのが遥拝殿。
◆御由緒の概略◆
  • 安閑天皇(あんかんてんのう)の御代、病・飢饉が広まったため、現在の和歌山県にある熊野本宮大社を勧請し、今熊野宮と名付けられた。
  • 天皇の御代、宮妃が当社をお参りした際、強風・大雨に見舞われ行方不明となってしまう。丹生大神の神託があり、勅使を当社に遣わせて祈願したところ、行方が見つかった。この逸話から「呼わり山」と呼ばれるようになる。
  • 貞治3年(1364年)以降、今熊野大権現と呼ばれるようになるが、明治になると今熊神社と改称される。
  • 明治42年(1909年)に本村川久保の天満神社を合祀する。

*1

 

 熊野本宮大社を勧請したとあるから、当時の御祭神は家都御子神(けつみこのかみ)だったのだろう。この神様は後にスサノオと同一視されたので、結果として当社の現在の御祭神もスサノオになったと思われる。一方で、もう一柱の御祭神であるツクヨミはどこから来たのだろうか。また、合祀されたはずの天神はどこへ行ったのだろうか。

 創祀は安閑天皇の御代(530年代)であるが、式内社ではないようだ。勧請した熊野本宮大社を含む熊野三山平安時代半ばごろから山岳仏教と結びつき、修験者(山伏)の修行場となったという。熊野系の神社であった当社も山岳仏教と結びつき、修験道の修行場となったのかもしれない。延喜式が成立する頃にはすでに修験道霊場としての性格が強かったのだろうか。

 ところで、呪力の強い山伏は天狗と結びつけられたと考えられている。今熊山が「呼わり山」となった所以の逸話をいわゆる「神隠し」現象であるとすると、その原因を天狗とする伝承があったかもしれない。当社の現在の神紋も、天狗を彷彿とさせる団扇紋である。現代でも深い山々に囲まれていて、登山口からひょっこり天狗が現れそうな雰囲気の、そんな神社だった。

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団扇紋の描かれた手水舎。長い間、水は出ていないようだ。

 

*1:境内の御由緒書きを筆者が訳したものなので、怪しい箇所があります