船橋大神宮(意富比神社)_千葉県船橋市

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社務所前の神明鳥居と石塔。正式名称は意富比神社だが、石塔には船橋大神宮と記載。

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偶然、正月専用の御朱印が頂けた。

基本情報

 JR船橋駅から徒歩で当社へ訪問した。途中、海老川という川がある。「船橋」の地名は古代の英雄が東征の折、この海老川を渡るときに地元民が小船を浮かべて橋の代わりにした逸話に由来するそうだ。由緒書には明記されていないが、この古代の英雄とはきっと日本武尊(やまとたける)だろう。今ではコンクリートに囲まれた小さな川だが、当時は渡るのも一苦労な立派な河川だったのだ。そんな海老川を渡るとすぐに当社の鳥居が目に入る。

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神門へ続く長い参道。境内には松の木が多いが、これは当地がかつては海沿いだったからだろうか。

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境内。2月初旬のため、まだまだ新年の雰囲気

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立派な神門。奥に拝殿が見える。

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神明造の本殿。

 当社の神門、拝殿、本殿などすべて木造・銅板葺で、木のこげ茶色と銅板の緑青色が境内の落ち着いた雰囲気を作り出している。新年の雰囲気にぴったりだった。

 由緒書によると、110年に日本武尊が干ばつに苦しむ住民を救うため、東国平定の成就を祈願するため、神鏡を祀ったことが当社の創始だそうだ。上記の通り、この頃に「船橋」の地名が生まれたのだろう。後に景行(けいこう)天皇が御東行された際に、意富比(おおひ)神社と称される。公式HPによると、古代、「日」は「比」等で表されたことなどから、古代の意富比神社の御祭神は大日神、つまり当地方の有力な太陽神であったとする説が最有力と説明されている。平安時代以降の文書には船橋伊勢大神宮と記載されることから、中世には国家神道の太陽神である天照皇大御神に同化したのだという。

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県指定文化財の灯明台。和洋折衷建築がロマンを感じさせる。

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明治27年に有名な玉川旅館から寄贈された彫刻画。当時は一之鳥居すぐ近くまで海だったことが分かる。

 境内には多くの摂社・末社に加えて、文化財の灯明台がある。現存するものは明治13年1880年)に地元の漁業関係者によって再建されたものだが、それ以前から境内に常夜灯があったそうだ。周辺がすっかり埋立地となった現代では想像しにくいが、境内に飾られている彫刻画にも描かれているように、かつては当社のすぐ近くまで海であり、この灯明台が船橋沿岸を航行する船の安全を守っていたのだ。